人の復活はイエス独特の事業である。
これ彼を離れて行わるることではない。
人は天然的に復活するのではない。
イエスによって復活せしめらるるのである。
ゆえにいう「われ末(おわり)の日にこれを甦(よみが)えらすべし」(注一)(ヨハネ伝6:54)と。
「彼に生命あり」といわれし彼イエスが、彼が、甦(よみが)えらすべしとのことである。
復活を自然的現象としてこれを解することはできない。
復活は生命の新供給である、その新発展である。
ゆえに生命(いのち)の源なる神の子イエスによってのみ行わるることである。
「われ末(おわり)の日に甦えらすべし」という。
人の言(ことば)としては妄言(もうげん)の極である。
されども生命の源なる神の子の言としては当然の言である。
イエスは天よりくだりし生命のパンである。
彼を食(くら)いて人は生長し、ついに永生に達するのである。
注:旧訳
内村鑑三 「一日一生」 4月6日
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