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トップ  >  内村鑑三  >  死の床の平和


われらはみな遠からず恐るべき日に会わねばならぬ。

遠からず死の見舞を受けねばならぬ。

その時われらを慰むる者は道徳でもない、品性でもない、善行でもない。

その時われらはかくかくの事業をなした、あるいは清き行為を続けた、あるいは善き品性を保った、人を救うた、親切を尽くした・・・・・・と、あらゆる良きものを数え立てて見るもなんらの慰めともならない。

いな、キリストにより良心を鋭くせられたものにとっては、過去を顧みて自己の功績の上に安心を求めんとするも、全然不可能である。

クロンウェルのごとき偉人すら、その最期には大声を発して、「生ける神の手におちいるは恐るべきことなり」と叫んだのである。

まことに今や死せんとする時には考うる力さえもないのである。

その時、ただわがために死したまいしキリストの血がわれを救うのであると思うによりてすべての安心が得らるるのである。

しかり、これ余の死の床の平和である。

しかしてまた最後の審判に立つ時の余の弁証である。

余の救いはキリストの血にある。

                
続一日一生 9月18日

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